中国という概念は、清の初期に、清の皇帝(遊牧民族たる北元の皇帝∔農耕民族たる漢の皇帝)が満蒙漢・チベット・ジュンガルを領土としたときに、世界の中心たる多民族国家として「中國」という概念が生まれたらしい,その時代は、アメリカも独立してないしイギリスも産業革命前で、世界の重心が欧米に移る前だった。皇帝を中心とした八紘一宇的な考え方で、大日本帝国(戦前は多民族的な要素があった)もその流れを汲んでいたと思う。日本が台頭した時代は、圧倒的に欧米列強の力が強く、非白人民族は劣等民族で、欧米列強の植民地になるのが当たり前の時代だった。トルコ、インド、中国という大国さえ、そのとおりに屈服しており、幕末の日本人は、宗主国も同盟国もなく、新大陸の黄色人に対するひどいジェノサイドも伝え聞き、さながら暗闇の中、群狼に狙われてるように心細かったと思う・・・・。でも、明治維新以降、有色人種として初めて近代化に成功し、日露戦争にも奇跡的に勝った日本は、世界史上、さんぜんと輝いている。日本人は、その原点を誇りに思うべきだと思う。これから先、中国は本当に「中國」になるだろーか?むしろ「明」のようになってしまうのでは?また、日本も幕末・明治・日清日露のころの精神を失い、あまりに島国根性、矮小化して、「倭国」になってしまわないか?と心配する今日この頃だ。
最近、文鳥の鳴き声が聞こえない・・・ついに冬を越せずに死んだか・・・