しとしと雨が降ると、たぶん梅雨のころだろーが、某合宿所の2階からボーとグランドを眺めてた、そんな光景が目に浮かぶ・・・、なぜ合宿所のぐにゃぐにゃ犬になったか?はじまりは、はるかな昔、やせこけた狐で、でも毛並みはつやつやで、今みたいに真っ白けでない時代にさかのぼる。キャンディーズの「春一番」、三木聖子の「まちぶせ」やピンクレディーが流行ったころ、純真(これほんと)な少年狐は、古都の鹿ケ谷に行きついた。朝鮮顔しながら古都をうろうろして、毎日が目新しかった。
ある日、5月病だろーか、よせばいいのに地下のくさい道場に行きついた。そして、ボーと柔道場の練習見てた。というのは、高校時代(あだなはゴン狐)、一応陸上してたが、柔道部に林信夫という親友が居て、ときどき練習に参加させてもらい、自分は立ち技のセンスがあると勝手に思ってた(今から思うと、優しい柔道部員はわざとなげられてくれただけ)。それに、柔道は見てると退屈でバカみたいだが、実際にやってみると面白いのも知ってたし。ところが、大学柔道の練習はすごい、軟弱高校とは違う、熱気がすさまじく「うわ、これは、プロだわ」とびびって帰ろーとしたら、隣で、すーはーえらい鼻息で大きな目血走らせ食い入って見てる太いやつがいる、つられて一緒に見てると、中から優しそうな小柄な人が出てきて、「中で見てください」とか丁寧に言われて、へーこんな小さい人もいるんやーと思いながら、道場に入り、太いやつ(KAZTEC)と2人で見学だけのつもりで見てた、そうこうしてるうちに、練習が終わり黙想(黙想見るのも初めて)後、でかい怖い頭目みたいな人が、ぎろっとこっちみて「新入部員挨拶せい!」とか大声で命令するわけ、結局、やせこけた少年狐は一言も「入部します」とは言わずに晴れて「群れ」の新入になったわけ、そして、普通じゃない生活になった。
それからほどなく少年狐は、広いグランド、たぶん一周400mだろー、の脇のぼろぼろの木造建物(合宿所、たこ部屋じゃない)の2階の廊下に居つくようになった。いつでもとんずらできたのだが、何故か居心地よく、めでたく「合宿所の犬」に変身したわけ。
当時、新入りは、板の廊下ときまってて、畳の間は、ボスたる牢名主様以下幹部の場所だった、幹部はどれもこれもでかくてごつくて迫力があった、「群れ」は相当強く、一部のシード校で全国レベルだった。(ちなみにこの「群れ」のボスたる牢名主様、桜吹雪の芸達者だが、10年位前にふとテレビ見ると映ってて、もちろん芸はせず、松下幸之助みたいな講話垂れてて2度びっくり)。
話は戻り、その合宿所の廊下は意外と風通し良くて涼しい(蚊に刺されるが・・・)、梅雨のころ、小窓から外を眺めてボーとしていた、ものだ・・・という話。。。今はアルツでボーとしているから結局変わらんけど。
そもそも色気もなにもなく、臭くててしんどいだけの「群れ」のなにが居心地よかったのか、いまだに謎?よく覚えてないが、たしか、春の盛りに合ハイ(当時は合コンじゃなく、弁当持ってきてもらって本当にハイキングに行ったのだ)もあったが、お琴の練習ある、とか言われて相手にされず(とんと雌犬と知り合う機会もなく)、大文字焼の時は、浴衣姿のアベックがうらやましく、グルルとよだれたらしながら上目使いでうなってた、というようなみじめさ・・・。
でも、毎日のようにおごってもらってただで酒を飲めるとか、練習もお客様扱いで受け身の練習程度(だまされの第一歩)とか、そんな理由で居ついたのかな?やっぱり若い時からその程度の性根だわ(今も変わらん)。
それで、練習がきついなーと感じだしたのは、だいぶさき、秋以降の話となり、そのころはめでたくクラスからも落ちこぼれて、友達もおらず、行先もなくなり、臭くてきつい「群れ」で小汚いオス犬どおし毎日毎日◯玉の汗をなめるしかなくなったのである、孤独な狐が「合宿所の犬」になるまでの物語でした、めでたしめでたし・・。