下宿の景色

犬は鈴鹿りくのところで下宿してた。吉田神社の裏の鳥居(丘の西側の南側にある)のすぐそば、普通の家の2Fに4部屋あり、そのうちの4畳半一間を間借り(1Fは鈴鹿りくというばあさんが住んでた、一帯、鈴鹿姓のお屋敷だらけで表札のそばに戦死者の記章貼ってる家が多かった)。西向きなので夏熱い!、扇風機も冷蔵庫も、もちろん、くーらーもなく、しれーと勉強机といすはあるが座ったことはない、とにかく夏熱い、2Fで西向きだから、夜熱気でねむれん・・・しかし、冬は寒い、京都だから・・・。ものすごく寒いがストーブもこたつもない・・・苛酷な環境なのでゴキブリとかハエはいないが、万年床で掃除したことない、犬小屋かネズミの巣みたいだった(今から思うとそーとー臭かったかもしれん)、・・でも、なんせ学校(道場と学食のみだが)に近く便利だった・・・。

嶋田と和さんは熊野寮、井手と渋谷は海の星学寮、井手は部屋の内装にペンキ塗ったりしてた、渋谷は・・・ある日酒飲もうと夜中に渋谷の部屋に押しかけたら、何故かベッドに隠れてて布団がこんもりしてるから、がばーとおおいかぶさったら、「キャッ」と女の子の声!、唖然としたら、妹さんだった・・・(人吉から遊びに来てたらしい。今は木崎あいこというらしい)。海の星は部屋鍵がなかったんだろーか?・・・古内は農学部グランドの北の北白川だっけ、ある日、いつものうつ病で、下宿にこもってぶつぶつひきこもってるらしいで、となり、はげましに行ったことがある(そのときは文鳥はいなかった)。一番優雅なのは、じいさんで、5条あたり(義経が弁慶に出会ったところ)のアパート(下宿ではない)に住み、ロボットの健脚で自転車とばして通学してた。きれいなアパートだった、部屋の中も犬小屋の100倍くらい奇麗で、ベッドの下にプラモデルの箱をきっちりと蓄えてた。ロボットじいさん曰く、「(プラモデルの)通は普段から買えるときに買っておき、作る暇ができたら作るもんなんだ…むフフフ」とのことでした・・・めでたし、めでたし。

 

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