文鳥の持論

はげ豚のくせに、持論があるらしいので、はっとく。

そのとーりだと思うが・・・あさはらしょーこーが言えば重みがある前段分となり、だからオームを信じよーにつながりそー。

まあ文鳥も、哲学に目覚めたか・・・似合わんぞ!鏡で自分の姿を見ろ!はげ豚がじじーのくせにえらそーなこというでない!だまって若いもんのやりよーをみてたらええねん、時代はどんどん前にすすんでるんやで!じじーの豚が邪魔するんやない!(なお、犬は独自の道を散歩するけどね)

以下、文鳥の持論

古来より、人類は、仲間と励ましあって生活を営み、お互いを慈しんで子供が生まれ、親は子を愛し、隣人はお互いを助け、子供のいない人は年をとって寂しくないように誰かが支え、先生は厳しくても生徒の安全を第一に考え、お爺さんとお婆さんは孫をあやす。

地球の空気は世界の人が吸っている。枯れた植物や、人間などの動物の排泄物や死骸は大地を肥し、ミミズが更に豊かな土にして、鳥や蝶が運んだ種や花粉で植物は育つ。リスやサルは樹々の果実を食らい、その食べ滓の種はまた樹々となり、アマゾンの密林も富士山麓の樹海も絶えることなく続いてきた。

人間は、同じ人間のアボリジニから魚を奪い、アメリカインディアンやアイヌは現代的な生活を強要され、南米でも同じことを繰り返している。

本当に二酸化炭素が地球温暖化の原因なのか、太陽熱の変化は関係ないのか、誰も明らかな説明はできないでいるが、可能性が一番高いとするなら、減らすしかない。アマゾンは、穀物収穫量を増やすために樹々を減らし、東南アジアの熱低雨林は、先進国の家を建て、トイレットペーパーを作るために、これも減っていく。少々二酸化炭素の排出量を減らしても、森が吸い込む二酸化炭素の量が減っていけば、効果は知れている。

二酸化炭素は、生活の便利さを増そうとすれば、燃えるものを燃やして発生する熱で電気を作り、乗り物や照明や冷暖房の増大で、それを利用でき、買える人たちの暮らしを快適にするが、増える二酸化炭素は空気だから、世界中の植物が等しく吸い、逆に酸素は減るから、世界中の動物の血流を等しく弱めていく。

第二次世界大戦以後、先進国では、子供を持たないほうが家族の出費が少なくて済むというだけの理由で、子供のいる慈しみによる家庭生活の幸せを犠牲にして、愛の授受の少ない生活を選択してきた。分かりきったことだが、子供のいない人たちは、年をとると自分の子孫に面倒を見てもらえず、社会サービスに依拠せねばならないが、蓄財が残っている間はそれを切り崩して受けるサービスは愛情に基づいてなされるものではないから、自ずときめ細やかさには欠ける。皆が一斉に子供の数を減らしたから、愛情に基づかないサービスの担い手も減っている。

少子化が進み、表裏の高齢化が進むと、単に社会全体の老人の介護を要する生活の維持が困難になるだけではなく、介護までは必要ない年金生活者の消費生活もその内容を落としていかざるを得ない。

現代社会は、もともとは言語や宗教を共有する各民族がまとまって生活するエリアを国家として運営してきたが、コアとなる人種・民族に支配される周辺民族を包含する経済圏を単に経済・軍事的に支配管理可能か否かだけで、文化・宗教・風俗などの同一性を基本とする国家形成とは最早無縁で、抱え込める資源賦存地域の拡大による国家規模拡大でのコア民族維持・増大のみを国家行動の基本目標としたため、発生が必然の軍事紛争を繰り返してきた。

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