文楽の思い出

人形浄瑠璃とかひょうたん島の話ではない・・・

あいちゃんの飲み屋、「文楽」という店の話・・・

文楽は、白川通の北側、銀閣寺道の手前にあった、太ったおばちゃん1人でやってる、カウンターのみの、満席で7~8人の飲み屋だった。

あいちゃんの手料理が美味しくてボリュームもあるし安い、酒飲みの店、当時はチューハイがまだなく、日本酒とビールで、今でいう千ベロ(ただしつまみで腹いっぱいになれる)。というわけで、代々柔道部員たむろの店だった、70年代頃から幾多の先輩たちも思い出深いところらしく、犬の時代も盛んだった。洋酒が飲みたくなると、隣の「ヒサ」というスナックもどきで白ラベルを飲み、ミュージックボックス(レコード盤)で音楽聞く、という風情だった。練習後は、百万遍の百万石で餃子とビールで飢えと渇きを癒し、飲み足らん連中が北白川の文楽方面に行く、ほんで日本酒で酔っぱらって深夜に大文字山に登り、京都の夜景を見て、下山してまた飲みなおす、というおそろしさ、ほんで、あいちゃんが急に焼肉喰いたくなったらシモ(先斗町~木屋町あたり)にくりだして焼肉喰う・・・そんな酒浸の拠点が文楽だった・・・・

ときどき、電気とめられて、ローソクになったりして「ちんど・・・」とか言ってたが、それも趣があった・・・・

いろんな人が来てた。昔、比叡山の奥で東京の女子大生が殺される事件があった、その犯人は比叡山で野宿してたが無類の酒好きで、ときどき山から下りて文楽に飲みに来てた男だった(そーいえば、よく、浮浪者みたいな得体のしれんのが酔いつぶれてカウンターの端っこで寝てたが)、もちろん、そんな凶悪犯ばかりじゃない・・・、後々、ブラジル鉄鉱山で活躍しすぎて精神病院送りになる小鳥とか、有名人(次官・教授・各種社長など)になる立派な酔っぱらいも少しはいた・・・

11月の前夜祭の養気亭では、どてやき、おでん、の味付けしてくれたのは、あいちゃん・・・おいしいから、とぶよーに売れてたなー・・・

一緒に3月ごろ、長野へ春スキーに言った覚えもある、あいちゃんの目的は、信州の鯉と温泉(スキーはしない)。そのとき作ってくれた、鯉こく(味噌汁)と鯉のあらい(ぶち切りの刺身)は、死ぬほどうまかった、以後、料亭行こうがどこいこうが、あれほどの、鯉こく、あらいにお目にかかったことがない・・・・

そのあいちゃんが、だいぶまえに他界したと、文鳥から聞いた、なんとも寂しい。肉親が他界すると、こんなことあったな、あんなことあったな、と思い出されて悲しいが、それとよく似た感じ・・・思い出は人それぞれで、文鳥は文鳥で、佐藤信秋さんは信秋さんで、相馬さん、藤本さんもそれぞれと思うが・・・あいちゃんはなにかを我々の心に残してくれたなーー、

 

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