さて、柔道部員1回生は別に柔道ばかりしてたわけではなく、なら女子大のスキーツアーにずーずーしくも参加したことがあった、たぶん、練習が春休みの3月に栂池高原に車中2泊現地2泊のバスツアーだったと思う。きっかけは、冬の1月頃だったけ、犬が夜中に自転車で北白川方面から鈴鹿りくの下宿に帰る道すがら、何故そのルートで帰ったか覚えてないが、たぶん文楽(飲み屋)の帰りかと思う。正門左側に掲示板があるのだが、ふと、女子大スキーツアーの貼紙が目に留まったのだった、犬は、へー、遠い奈良の女子大かー・・聞いたこともない女子大だけど、スキーツアーか・・・と想いながら、暗い中、その貼り紙を引っぺがし、翌日、同じ一回生のなかじまじいさんに、こんなんあるけど、どーや、と引っぺがした張り紙見せてきいてみたのだった、すると、じいさん(一応19~20歳)、「その女子大は東のお茶の水女子大(お茶の水博士ではない)の西版、みたいなもんだ」、とかいいながら乗り気だった、犬はとりつ三田高校だったので、お茶の水女子大は知ってるし、国立音大とか武蔵野芸大とかICUとかソフィア上智、青山学院、東京女学館に奇麗で知的な女の子たちが進学したのも知ってる、ひそかにあこがれてた三田高校の女子高生(平洋子とか三浦暁子とか前田史乃とか國増智子とか上田真喜子、華名子、ますみ(薩摩原人ピッピ)、ぎたーのしょうことか・・・・生きてるかな、意外と名前って覚えてるな~(ざまあみさらせ、さらしたった、もう見たくないけどね、お互い想い出の世界で・・・)はいずれも女神のよーだった、もう同窓会もいってないが、おセンチ山という丘があり、[白珠(しらたま)の人にならまし~・・・]という校歌だった、文化祭は白珠祭(はくじゅさい)といった、東京の第六高等女学校だったらしいが、犬は白珠(しらたま)の人になれるわけがなく金玉のひとになった。
とにかく、奈良は中学・高校の修学旅行で行っただけだから(東京の中学・高校の修学旅行の行先は当時古都だった)、ならじょは知らなかったわけ・・・
とんじょ(井上里佳がいったところ、彼女とは中学から一緒で、中学からボインだった、東京で一緒に酒飲んだが、飲めば飲むほど白い顔が白くなり、犬はまっかかで新幹線で帰った記憶ある)はきいたことあるが、ならじょって、田舎の名もないじょしだいとおもってたら・・・そーなんや・・・・と・・・・中嶋義弘じいさんのうんちくでは、ならじょは別名「いもじょ」といい、俺たちにあうと断言してた・・・・なぜ爺さんが知ってるか、何故俺たちに合うのか、今になるとわからんでもないが、当時はとにかく、よくわからんままに、結局寒いのが嫌いな井手と足の骨を和さんに折られた嶋田康司(2回生の時には一緒に行った)と膝はずれヤマアラシの和さん、はいかず、股関節どーこくじいさん、文鳥の古内治、鳩胸でかちんの大場、ソチン痩せ犬の4人が女子大すきーつあーに行くことになった・・・(つづく、はず)