話は高校時代にさかのぼる、ぐにゃぐにゃ犬は高校時代、陸上部だった、都立三田高校といい、なにかとハイセンスで綺麗で品のいい女子高生で賑わってた(昼には近くの慶応大学の学食で安い焼うどん食べ、遊びに行くのは、渋谷・六本木・・・)、しかも犬のくせに生徒会役員で議長団議長やってたわけ(今は便所掃除役)。
そんなスマートなシティーボーイ(今はダーティーな野良犬)だった都立高生の陸上の練習は週3回、監督も鬼コーチ岡も居ない、自主トレだけ、犬は中距離だったから、学校の廻り1.5キロを2~3回走ってた(サーキットトレーニングという)。同学年の男子部員は、走高跳、幅跳び、中長距離で5~6人いた、とにかくみんなスマートだがやる気ない、あまり練習に来ないし来てもてきとーにしてた・・・2つ上に曽野綾子の息子の三浦太郎というかっこいい先輩が居て100m11秒台で走ってた。陸上部の合宿は夏に軽井沢だった、楽しい合宿だったが、軽井沢の練習は3キロぐらい走って終わり、しかも女子部員と一緒に走るんだからしんどいわけがない、が、はなやかで楽しくてさわやかな合宿だった(柔道の合宿とえらい違いだ、後述)。そんな楽しい部活だったが、犬は一応一番練習してたと思う、コツコツと・・・当時、高校2年で体重が53キロぐらいだったから結構速かった、やせ狐そのもので、それが一部の女子にはうけたのか、練習中の狐の写真を女子高生が撮りにきたり、試合にわざわざ弁当もって狐の応援に来る女子高生もいた(これほんと、柔道では皆無あり得ない)・・・そして、高校2年の冬になると、だれも練習に来なくなった・・・、つまらんので、親友の林(柔道部員、渋いやつ、バーブ佐竹みたい、軽量だが中学時代品川区ベスト8で結構強い)に頼んで、柔道部の練習に何回か参加させてもらった、それが、柔道との出会いだった・・・「面白いなー柔道って」とそのとき思った・・・これが間違いの元、元凶だったわけ・・・・。
ついでに、大学柔道の合宿の思い出も記すが、ろくなもんじゃない、新日鉄君津だっけ順天堂大学と合同だったのは、帰りに東京で高校時代の仲間と会い、ついでに合コンもしたが、犬は疲れ果てて女の子としゃべる気力もなかったわ。東レ滋賀だっけ、練習の合間に気分転換にラグビーしたのは、巨漢相手に脳震盪起こして2~3人ひっくり返って記憶喪失になってたわ・・・。強化合宿だっけ、朝昼晩の練習の合間に同志社に出稽古までするから、小便がビタミン剤飲んだみたいにまっ茶色になったわ。毎年、5~7月の強化合宿中には体壊して飯食えなくなったぞ(バナナは食える)。まあ、犬は一番小さくて非力だったから、しんどかったのかもしれんが・・・じいさんとは回り稽古の時、小声で「力入れるな」てなもんで、さも寝技攻防のように見せかけながら、実は全く力入れてない、というサボり技まで覚えたおかげで、4回生になって初めて体壊さず夏場を乗り越えられたわ・・・、いずれにせよ思い出すと吐き気がする、身も心もスマートなシティボーイだったときの軽井沢の合宿がなつかしい(涙)・・・どこで道間違えたんだろー-